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世の中がどんなに変化しても、人生は家族で始まり、家族で終わる。

2009年10月02日 02:57


どういうわけかうちのごみぶくろだけ
いつもあけられてしまって
中身がまき散らされているの

ある日曜の朝
母が困惑顔で言ったとき
それはきっと妹を狙う肉食獣の仕業に違いない
とわたしにはわかった

夜な夜なごみぶくろを開けて
中に
妹が入っているかどうか探しているんだ
だってそうに違いないんだ
何せ
そのころの妹は石鹸ばかり食べていたから
やわらかにすきとおって
いつもしゃぼんのにおいをさせていたし
おまけにとても素敵な脚をしていた

きれいなものしか食べたことのない妹は
血の臭いを拒絶した
殺されたものは食べたくないのと言って泣いた
だけれどわたしはその晩から
ピンセットでつまんだ肉を
すこうしずつ妹の体へ入れていったのだった
かわいそうに
だけどこうしないと
おまえ食べられちゃうんだよと言いながら

思えばあれがはじまりだったのだ

今の妹はまごうかたなき肉食となり
けものの肉なら生でも食べる
なんだかごめんね
と呟くと唇の端から血を滴らせて
なんなの へんなおねえちゃん
と笑う

それでも妹は
とても素敵な脚をしていて
きっと死ぬまで彼女の脚は素敵で
それと同様に
死ぬまでわたしは妹を愛する事をやめない
やめない 絶対に



両親の寝室は二階にあった

机が二つ並んでいたその部屋は
布団を畳んだあと書斎にもなった
書棚には広辞苑と人間交差点の四巻
それから母の集めたこまこまとした主婦のための雑誌の付録や
珈琲の空き瓶にためられたいろいとりどりの釦が置いてあった

両親がいなくてさびしいときは
こっそり書棚をあけて紺色の釦を口へ入れ
かろかろ言わせながら母の机で居眠りしたりした

両親は毎日必ず午後九時までには寝室へ入った
必ず二人だけで入るうえに
子供は絶対こないよう言い渡されていた
それなのに一度だけ
禁を破ってこっそりふすまの隙間から
盗み見したことがある

両親の寝室はやわらかい杏色の光に満たされていた
今でもよく覚えている
隙間にそっとあてたわたしの黒目がとらえたのは
父の椅子には父とよく似た少年が
母の椅子には母とよく似た少女が座っている光景だった
二人は肩を寄せ合ってごく小さな音で
サイモン&ガーファンクルのレコードを聴いていた

ああそうか
幼かったけどはっきりわかった

かれらは取り戻していたんだ
夜の寝室で
誰も知らない植物を育てるように
慎重に静かに生き直していたんだ

どきどきしながらそっとふすまをしめた
見てはいけないものよりも もっと見てはいけないものを
見てしまった気がした
生きるって怖い
ということを初めて知った夜だった



兄はある日
クラスメイトの男の子にファーストキッスを
奪われてしまったショックで もう二度と外へ出ない
と誓った

そのためか翌日から兄のからだ全体は
いつの間にか発生した
分厚い繭につつまれて見えなくなった

あれからそろそろ十年が経つ
あの中で兄が何をしているのかは知らない
ときどき兄の歌うような声が聞こえてくるのだが
その声は甲高くてちっとも成長していないようだ

深夜
足音を盗んで台所の片隅
ふわふわと膨らんだ繭の前へ行き
声を落して囁いてみる
にいさん
あなた大人になるのやめたの
返事はない
もしかしたらわたしは
兄とは会えないかもしれない
もう二度と

繭はたまに芯のあたりがぼんやり明滅する
なぜかわからないのだけど
それはいつも
まるでお別れを言っているみたいに見えるのだった



祖母はわたしの生まれる前に子宮を摘出した
ある意味でわたしはその子宮から派生したように思うのだ

わたしがもっとも
濃い関係を持っていたのは
祖母とだったから

以前は
ぽたぽたと降りしきるようなひなたの縁側で
おざぶとんを出してラジオで一緒に落語を聞くのが好きだった
桂枝雀はいいねえと言いながら
おせんべいをごりぼり噛んで

そんな時間が永遠に続くような気がしてたけど

ある日を境に祖母はだんだん記憶をなくしはじめた
今ではわたしを見ても
あれ おばさん
とか
キタヤマさんじゃねえの
とか
サダボウよう
とか
その時々で違う名前を呼ぶようになった
だからわたしはおばさんになったり
キタヤマさんになったりサダボウになったりするのに忙しい

祖母が一度だけ
ゆうちゃん
とわたしの名前を間違えずに呼んでくれたときには
もう遅かった
わたしはすでにわたし自身である
ゆうちゃんという女がどんな人間だったか
全然わからなくなっていたのだった
しいん、とするのがいやだったから
ゆいいつ覚えていた
桂枝雀のものまねをすると
祖母が笑いながら泣いたからわたしも泣いた
それからしばらく二人で抱きあって
ごうごうと嵐のように泣いたのだった














(タイトル原文)Other things may change us, but we start and end with the family.
イギリスの美術史家/アンソニー・ブラントの言葉

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