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セル・ハーセルフ

2009年09月06日 14:56


がらんとした部屋の真ん中に突っ立っている
とうとうわたしは
自分のからだを売らないといけなくなってしまった

長年集めてきた文学全集も
ライターも割烹着も食べかけのジャムも
売れるものはみんな売ってしまった
それでも夏の間は
貯金箱から少しずつお金を出して
こむぎこや電球など買っていたのだけど
もう夏は過ぎてしまったし
陶器製の貯金箱には
軽いアルミ製の硬貨しか残っていない

ああだけど売れるだろうか
わたしときたら
左耳はうみへびに食いとられたように
ほんのすこうし欠けているし
あるときなど夫があんまり腹を減らしていたものだから
右手と踝とを食べさせてしまった

夏の間に買った電球の灯りは
ワット数を間違えたため薄暗い
悩みながら包丁を研ぐ
左手くらいなら売れるだろうか
中指の第二関節に虫刺され痕があるけれど

ぎらりと光る包丁と鈍重な砥石はまだ新しい
わたしがなくなってしまっても
この二つだけは永遠に残り続けるような気がした

じきに夫が帰るだろう
余分に生えた右手と踝とを所在なくぶら下げて


左手は百円で売れた
骨董屋へ持ち込んだところ
まあ新しすぎるからこれくらいだね
と店主はがまぐちを開けて
冷たいその硬貨をいちまい
わたしの掌に載せたのだった

何かささやかなお祝いをしようと思ったのだけど
路上で背中に
硬貨投入口のある女の子とすれ違ったものだから
後先も考えず
あわてて投入口に百円入れてしまった
さりん
とそれは確かに女の子の
奥底にまで届いたようだったけれど
それっきり
何のお祝いもできなかった
女の子は素敵だったけど
そうだ
女の子は素敵だったのだ
けれど
それはただそれだけのことで

家に帰ってちょっと泣いてから
ためらいもなく右耳を落とした
傷ついていないのは右耳しかないのだ
歳を重ねてゆくごとに
体じゅう傷だらけになってゆく
しかたのないことである

ぽそ、と畳の上に落ちた右耳は
産まれてくることが出来なかった
胎児のかたちによく似ていた


右耳を切り落として翌朝
もちろん世界の右側の音は
いっさい聞こえなくなっていたのだけど
そのかわり自分の声が体内でよく反響するので
無数の人々から完全に切り離されて
たったひとりになってしまったみたいな気持である

右耳は売れなかった
骨董屋の店主は不況のせいだと云う
それもよく聞こえない
何度も聞き返しているうちに
遂に店主は黙ってしまった
どうしても伝えたいことではなかったのだろう
いったいこの世の何パーセントくらいの人が
本当に伝えたいことを声に出しているんだろうか

夕暮れ
帰宅した夫が
わたしの左耳を齧った
夫はトマトが好きだから
こういうことに
あまり抵抗はないのだろうが

夫の歯がこんなに鋭いなんて
と思ったら妙に興奮してしまった



月刊未詳24 2009年9月第30号 投稿
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