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セプティエンブレ

2009年09月29日 17:57


空が脱脂粉乳のように
薄く万遍なく引き延ばされてしろい日
うすぐらい部屋のなかで洗濯機を回している
色とりどりの洋服は不要になった皮膚のように
集められ濡らされ浮かんだり沈んだりし
渦を巻く水面はまるでこの世の終わりのようだ


こんな赤いシャツを
こんな黄緑のジャージを
わたしは持っていたんだっけ
それとも勝手に生えてきたのか知ら
何もかも確かではないのね
そんなことは生まれたときから知っているけれども

少し開けた窓の隙間からは
輪郭だけの猫がにゅるんと入ってきては
わたしの足もとを
あわただしく回ってすぐに出てゆく
名前をつける暇がないから
愛することもできないや
昼間
くぐもった音を立ててモーターが回っていて


ものを食べるタイミングがよくわからない
職を離れて家にいるようになってからは
ますますわからないから困る
死ぬまで一緒にいようね
と誓いあって体を半分ずつわかちあった人とは
七年前に別れてしまった
最後の日は
たしかたべものの話をしていた
あれ さんしょううおのくんせいってどこの名産品だっけ
と言いながらあの人は
だんだんに薄くなって消えてしまったのだった
福島です
と答えてあげればよかったんだけど
答えなければ
ひきとめることができるんじゃないか
と思ったから言わなかった
ひきとめても終わりであることに変わりはなかったのに
あの人あれからさんしょううおのくんせいを探すために旅へでて
今もどこかの星空の下を
いっしんに歩いているのかもしれないのに

さんしょううお
と言いかけてやめて
所在ないので煙草を吸った
このまま死んでゆくのかなあ
と呟きたかったんだけど
このまま まで口に出してやっぱりやめた
背後では深く夫がねむっている
本当によく眠る人だ
だらんと伸ばされた
右手なかゆびの爪を少し齧ると安心した
この人はきっとどこへも行かない



郵便受けに宛名のない手紙が舞い込んできた
便箋四枚にわたって
アケビアケビアケビアケビアケビ
とだけびっしり書き連ねてあったので
そのまま捨てた
こんなことがたまにある
もう秋だなあと思う

そのあとわたしも誰かに手紙を書こうと思って
便箋を取り出したのだけど
どうしても
手紙を書くべき人のことを思い出せなかった
仕方ないから便箋の端に
ボールペンで落書きをするが
わたしの落書きは何を描いても
子宮みたいになってしまう
そのうち疲れてしまったので
いくつかの子宮の上に頬をつけて眠った

さびしいなあ
みんなどこへ行ってしまったのだろう
帰りたいなあ
だけどどこへ帰ればいいんだろうなあ

夕暮れのひかりがまっすぐに差し込んで
気づいた時には部屋じゅうが
たゆたゆと温かいべにいろの海だ
さびしいなあともういちど
ありったけの強さで思って
思い切ってわたし
深いところまで沈んだ









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結婚してよかった、とか言ったことない

2009年09月14日 02:19






「林檎ってちょっと女に似てるから歯を立てるときぞくっとするね。」

夕暮れに秋刀魚さばいてみるのですふと血が見たくなりましたので

夜遅い夫の帰りを待ちながら深く深く爪を切るわたし

「わたしたちむかし銀河にいたよね」と言って夫の両眼を覗く

こっそりと夜キッチンで肉を焼き食べる夫のうしろすがたは

エムアンドエムズの青いやつばかり食べる、わたしは青くなりたい

アパートの部屋に深夜が満ちてゆく君もわたしも影絵になって

君は死ぬおそらくわたしより先にそう考えながら抱かれたりする

「愛してる」とかそんなことよりも今日、ゆうはん何にするかが大事

食卓をととのえ座るわたしたちまだ家族ごっこしてるつもりで




アルバイターと海

2009年09月09日 03:03



職場で必ず着用するエプロンには
大きなポッケットが付いています
わたしはその中に
いろいろなものを放り込むのが癖です
ポッケットが膨らんでいないと
落ち着かないのです
膨らんでいて少し重いと安心です
職場では時々
所在なくて浮いてしまうときがあるので
これらは重しの役割をしているんだと思います

暇な時間帯には
ポッケットの中のものを出して
ひとつひとつ並べてみたりします

消毒薬
ばんそうこう
安全ピン
ボールペン
カッター
ヘアゴム
接着剤
磁石

それと少々の砂

砂なんてどこで拾ってきたのかわかりませんが
それはとてもさらさらした白い砂で
ことによると
いつかの雨の日に
海のことを考えながら
仕事をしていたためかもしれません



夏と秋とがちょうど空で交差するこんな季節は
空気が妙に青味ががって見える日があります
レジに背を向けてその色を眺めていると
お客さんが来たので
いらっしゃいませ
と振り返りました

お客さんは大きな海老でした
白目のない眼でじっとこちらを見ています

季節の変わり目には
きっとあらゆる境目がなくなってしまうのでしょう
海老のお客さんはどこから持ってきたのか
月刊海老
というみたこともない雑誌を買って
袋いらないです
といい声で言ってから出てゆきました
あとに残ったのは
びたらびたらと生臭い水ばかりです
なんだかぼんやりしてしまいます

ここは一体どこなんでしょうか



仕事を終えるころには
大抵もう真っ暗です
タイムカードをジジジと押しますが
タイムカードというのはどうしてこんなにわびしい
死にかけの虫みたいな音で
刻印されるのでしょうか

夜勤のアルバイトさんは思い詰めたような眼で
着替えをしています
石膏のようにすべすべした横顔の夜勤さんのことを
ほんの少しだけ好きです
着替える前
たまに麩菓子をかじっていたりするその歯は
退化した深海魚みたいに見えて
好きです
と言ってしまわないうちに
裏口から素早く職場を出ます

職場から家までは歩いて十五分ほどですので
夜空を見ながら歩いて帰ります
真っ黒でだたっ広い夜空は
いつか夜の海へ泳ぎだしていって
それきりもう帰ってこなかった
子供たちや大人たちのことを彷彿とさせます

街灯の下に落ちる影は夏よりいくぶん濃くなって
ひたひたと揺らぎながら
意志とは関係なく
離れていってしまいそうに見えて

煙草をくわえて
でも火をつけるのはためらいました
橙の光に
かたちのないものたちが
集まってきそうな気がしたからです

じき家へつきます

kill time.

2009年09月07日 15:27

陽炎を踏み越え君は手を振って、あちら側へと行ってしまった


家じゅうを掻きまわしつつ探したが、あの日の記憶が見つかりません


路傍にはいつも死骸が落ちている、人かも知れぬ、見ない振りする


正論もニュースも聞かず死にたくて鳴らないラジオ直さずにいる


夕暮れに家へと急ぐ子供らの髪から落ちる空の欠片が


かなしがるぼくたちの背が割れてゆく、きっと蝉だね(夏の路上の)


食卓にあぶらまみれで落ちているちくま文庫の文豪の顔


なんとなく子供が欲しくて無精卵あたためてたら割れて流れた


誰もみな何かをおそれて生きている全治不能の傷を抱えて


深更に みし とサキイカ噛んでいるけっして誰も殺さぬように


求人のチラシで折ったひこうきを無くなっちまえとぶん投げてみる


昼間でもつい電燈をつけるのは夜行性のけもののさがです



(ドア前に誰か立ってる気がしててだからどこへも行けないのです)




kill time…退屈凌ぎ、ひまつぶし

セル・ハーセルフ

2009年09月06日 14:56


がらんとした部屋の真ん中に突っ立っている
とうとうわたしは
自分のからだを売らないといけなくなってしまった

長年集めてきた文学全集も
ライターも割烹着も食べかけのジャムも
売れるものはみんな売ってしまった
それでも夏の間は
貯金箱から少しずつお金を出して
こむぎこや電球など買っていたのだけど
もう夏は過ぎてしまったし
陶器製の貯金箱には
軽いアルミ製の硬貨しか残っていない

ああだけど売れるだろうか
わたしときたら
左耳はうみへびに食いとられたように
ほんのすこうし欠けているし
あるときなど夫があんまり腹を減らしていたものだから
右手と踝とを食べさせてしまった

夏の間に買った電球の灯りは
ワット数を間違えたため薄暗い
悩みながら包丁を研ぐ
左手くらいなら売れるだろうか
中指の第二関節に虫刺され痕があるけれど

ぎらりと光る包丁と鈍重な砥石はまだ新しい
わたしがなくなってしまっても
この二つだけは永遠に残り続けるような気がした

じきに夫が帰るだろう
余分に生えた右手と踝とを所在なくぶら下げて


左手は百円で売れた
骨董屋へ持ち込んだところ
まあ新しすぎるからこれくらいだね
と店主はがまぐちを開けて
冷たいその硬貨をいちまい
わたしの掌に載せたのだった

何かささやかなお祝いをしようと思ったのだけど
路上で背中に
硬貨投入口のある女の子とすれ違ったものだから
後先も考えず
あわてて投入口に百円入れてしまった
さりん
とそれは確かに女の子の
奥底にまで届いたようだったけれど
それっきり
何のお祝いもできなかった
女の子は素敵だったけど
そうだ
女の子は素敵だったのだ
けれど
それはただそれだけのことで

家に帰ってちょっと泣いてから
ためらいもなく右耳を落とした
傷ついていないのは右耳しかないのだ
歳を重ねてゆくごとに
体じゅう傷だらけになってゆく
しかたのないことである

ぽそ、と畳の上に落ちた右耳は
産まれてくることが出来なかった
胎児のかたちによく似ていた


右耳を切り落として翌朝
もちろん世界の右側の音は
いっさい聞こえなくなっていたのだけど
そのかわり自分の声が体内でよく反響するので
無数の人々から完全に切り離されて
たったひとりになってしまったみたいな気持である

右耳は売れなかった
骨董屋の店主は不況のせいだと云う
それもよく聞こえない
何度も聞き返しているうちに
遂に店主は黙ってしまった
どうしても伝えたいことではなかったのだろう
いったいこの世の何パーセントくらいの人が
本当に伝えたいことを声に出しているんだろうか

夕暮れ
帰宅した夫が
わたしの左耳を齧った
夫はトマトが好きだから
こういうことに
あまり抵抗はないのだろうが

夫の歯がこんなに鋭いなんて
と思ったら妙に興奮してしまった



月刊未詳24 2009年9月第30号 投稿

本日は晴天なり

2009年09月04日 17:31



朝寒(あささむ)や子宮の奥へしのびこみ


初秋の路上に晩夏わだかまる


塗りたての青あざやかに秋の空


コンビニで桃缶さがす風邪の人


ほおずきが臓器のようにおちている


盆過(ぼんすぎ)にまちで故人とすれちがう


心臓と同じ重さの梨くらう


サヨナラと同じ色して秋は暮れ


玉葱を刻む手を止め月を見る


皿洗う指に夜寒(よさむ)のしみてゆく



(字余り)

夜食喰うおおきくなって星を捕るため

捨て団扇にジャニーズの顔笑ってる

面接に落ちた夕暮れ桔梗咲いてる

漂鳥(ひょうちょう)を追いかけ迷い帰れぬ夕べ

或る少女の生涯について

2009年09月03日 01:46


私の本当の名前はスマコというらしいです
だけど父も母も兄弟もみんなスマと呼ぶので
いつの間にか私はスマになってしまいました
ときどき本当の名前について考えます
コというのはどういう漢字なんでしょう
もしかしたら犬をあらわす漢字の

なのかもしれない

まったく私は犬みたいに生まれてきました
一番最初の
忠犬ハチ公の銅像が出来上がった年の
宇宙飛行士のユーリ・ガガーリンが生まれた日に

父は湿っぽい布団の上でいごいごとうごめく私を見て
なんだ むすめっこか
と一言言ったきりだったと聞いています
父に関する事はあまり覚えていないのです
ただあの頃の日本の平均的な父親だったような
毎日広い畑で野良仕事をして
休憩中は煙管をふかし
夜になれば質の悪い酒で酔っ払って
たまに母や子供を殴るような
たったそれだけの
それ以上でもそれ以下でもない父親だったと記憶しています



弟が一人います
少し年が離れているため
私は物心ついてからすぐ弟のおもりをしながら
野良仕事をする母をたすけて家事をするようになりました
弟はショウちゃんと云います
おさるのおにんぎょさんみたいに可愛い子で
私は姉というよりは母親のように彼をかわいがったものです
実際
私のようなものは
物心ついてすぐに母親の役目を果たせなければ
まるで要らない子だったのです

このあたりの冬は静かです
あんまり静かで気が滅入るほどです
ショウちゃんは夜泣きをするたちでしたので
新月の夜なんかにおぶい紐でおぶって
どこにも灯りの見えないあてのない道を
ゆっくりゆっくり歩きました
ただ身を切る寒さだけがそこにありました
あの頃の空気は確かに透明な玻璃(ハリ)で出来ていたに違いないと
今となってはそう思います



学校へは時々行きました
野良仕事の忙しくないときだけでしたけど

大人の男や女の先生が
絶えず何か注意しながら歩き回る狭い校庭や
子供たちの風にはためく
絣や紬の着物の袖などを見るのは楽しいものでした
文字を読み算術を習い友達とふざけあって
心臓が石炭のように燃えるまで毎日駆け回りました
ですが
じきに私は学校へは行けなくなりました
ゲンロントウセイというものが始まり
国民服が支給されトロツキイとかいう人が暗殺され
時代はだんだん真夏の夕立前の空のように
暗く暗くなってきたのです
ですが学校へ行けなくなったのはそのせいではありません
どういうわけかその頃から
私のうちでは作物が狂ったように実りはじめました
採っても採ってもまだまだ実っている果実や稲や野菜は
裏庭に積み上げられ腐ってゆきました
私や父や母が大車輪になって働いても
追いつかないくらい実るのです
恐ろしい予感がしました



戦争のことはきれぎれにしか覚えていません
こんな田舎の空にも毒虫のような影を落としてB二十九が飛び
私が母から種を貰って鉢に育てていた花は
それが
産卵するかのようにたわいなく落とした爆弾で
目の前で火をあげて砕け散りました
この世に人間が太刀打ちできないものがあるなんて
大切なものがこんなに簡単に破壊されてしまう
そんな理不尽なことがあるなんて知りもしませんでした

さいわいにも私の家はみすぼらしく
しかも目印も何もない
広大な土地のはずれに建っていたために
家が花のように燃え上がることはありませんでした
ただどうしたことか
ある青天の日
畑でもぐらとりをしていた父が
誰かが気晴らしで落としたのであろう
爆弾にあたって死にました
畑の真ん中で焼け焦げた父は
まるで
父自体が大きなもぐらのようにも見えました
私たちは父を真ん中にして輪になって立ち
黙って父の死を悼みました
都会から疎開へやってきた知らない人が
私たちのその有様を見て
まるで昔からの知り合いのように
素早く丁寧に父の遺骸を埋めてくれました
空が青かったことを覚えています



戦争中は食料が乏しかったため
薩摩芋ばかり食べました
そのおかげで私は
もうきっと死ぬまで薩摩芋を食べないだろうと思います



戦争というものが終わったとき
私は十三歳で
おぼろげに人生というものについて
考えはじめていました
何でもできそうな気がしました
だってあのひどい戦争を
戦争が始まる前と同じ体で同じ顔で
どこもそこなわずに生き延びられたのですからね

私たちは父の畑を耕し
ぼそぼそと何かそこらへんにあるものを植えて育てました
都会から食料を求める人が私たちのところへも来ました
そんなとき私たちは決まって
父の遺骸の埋まったあたりに実っている薩摩芋をやりました
耕さなくてもそこには勝手に薩摩芋が出来ていましたし
しかもそれは
臓器のようにグロテスクで鮮やかな色だったからです
都会から来た人はどんな人でも
影法師のように見えました
風に揺らぎながらただへなへなと歩いて
時折路傍で煙草をふかしたりしていました



私が結婚をしたのは十七の夏です
結婚相手の男はむかし通っていた学校の
大人の男の先生に似ていました
膝の抜けたみすぼらしい作業ずぼんを履いて
顔を泥だらけにしながらその人は
ある日私の前にやってきました
そのことはそれだけで十分でした
これ以上ないくらいによくわかりました
私たちは夫婦となり
ショウちゃんや母をそこへ置いて
実家よりももっと田舎にある
小さな木造の家へ移り住みました
男の人のことをわたしは
おめさま
と呼びました
名前は結婚後ずいぶん経つまで呼べませんでした
私があの人の名前を呼んだのは
あの人の葬式のとき
そのときただ一度きりです
都会の人は嗤うでしょうか



私たち夫婦には
息子が二人生まれました

長男はショウちゃんにそっくりだったため
時々間違えてショウちゃんと呼んでしまうことがありました
次男はびっくりするほどあの人に似ていました
今でも私は次男と接するとき
なんだか緊張してしまうほどなのです
狭い木造の家で
私たちの生活はなごやかに流れてゆきました
ショウちゃんの電話や母の訃報など
その生活はしばしば
石を投じられたように乱れはしましたけれど
あの人はその間も変わらず縁側に座っていたし
長男と次男は飽きもせずに鬼ごっこをして遊んでいましたから
私はそれだけで安心だったのです



やがてあの人が死んでからすぐに長男は家を出て
それきりふっつりと音信が途絶えてしまいました
次男は家から通えるところへ就職をし
やがて就職先でおよめさんを見つけてきました
およめさんは快活でよく働く人でした
ああこれで安心して死ねると思って
わたしは生前あの人が
農薬なんかをしまっておいた棚を開きました
でもあれほどたくさんあった農薬の瓶は
ひとつもなくなっていたのです
あの人が持って行ったんだと私にはすぐにわかりました

そのころからでしょうか
なんだか時間が
早く過ぎてゆくような気がして仕方がないのでした



いま私は七十五歳です

次男の建てた家でおよめさんと次男と
孫と孫娘と一緒に暮らしています
洋服も電化製品もふんだんにあり
昔とは全然違う
とても色鮮やかで楽しい日々を送っています

長男からは相変わらず音信はありません
先日の昼間
テレビのニュース番組を観ていたときに
アナウンサーの背後を長男によく似た男性が横切っていきました
アメリカからの生中継です
とアナウンサーは言っていましたが
本当に長男だったのでしょうか
ぼんやりしていると
少し年老いて でも昔と変わらず快活なおよめさんが
ほらおかあさん ごはんがこぼれますよ
と笑いながらつっつきます

この頃は
孫娘のまねをしてお砂糖も牛乳も入れないコーヒーを
ほんのひとくちだけ飲んでみたりするのですよ

テレビの前に据え置かれた座イスで
うつらうつらしていると
孫が毛布をかけてくれます

幸せ だと 思います
だけどこのごろはもう眼もかすんで
立つこともできないですし
耳もよく聞こえないのです
毛布をかけてもらっていい気持ちです
昔はもぐらのようになった父の夢や
小さいままのショウちゃんや母の夢をよく見ましたけれど
この頃はちっとも夢を見ません
夜の海にたったひとりで
ふんわりと浮かんで流されてゆくような眠りです
もしかしたら
私はずっと夢を見ていたのじゃないでしょうか
あの頃の十二歳のまま
こんなにも長い夢を
こんな風になるまで ずっと

もう起きて家に帰らなくてはなりません
そこに立っているのは誰でしょう
どこから来たのですか
わたしを置いてゆくのですか
何故かしら
眼を開いても眼を閉じても
ずっと夕闇の明るさです



二〇〇九年八月の風が吹く日
祖母の語った話を孫娘記す






夏の終わり

2009年09月02日 14:58


砂浜に片耳を押しつけて
膨れ上がってくる海を見ていた
波が打ち寄せてくるたび
呼応するようにわたしの体からは
水分が流れだして
おなかを生温かく濡らしてゆく
そうだ忘れかけていたけれど
わたしたちは三十八億年前に
海で生まれたのだったね
でたらめに描いた波打ち際の絵は
とうに消えてしまって
沖の方に青白い手が突き出て揺らいでいる

わたしは
きっと一生泳がない



夏の日の昼間
ふとんを干しにベランダへ出ると
やわらかい赤ん坊の泣き声や
ひるがえっているレースのカーテン
遠くで誰かが聴いている
フィッシュマンズの淡い音など
あまりに平和な光景がひろがっているため
つい安心してうとうとと眠ってしまう
陽の光を受けて温まったふとんに頬をつけると
妙に色鮮やかな夢を見る
ぴんくいろの軟体動物に
あいしてる
と言ったところで目が覚めた



はちがつは永遠には続かない
月曜日が永遠には続かないのと同じことだ
夕暮れの色がだんだんに褪せてゆくのと同時に
誰もが
はちがつのことを忘れてゆく
生乾きの傷みたいな朝焼けのことも
舌をまっさおに染めるブルーハワイのことも
夜ふとんから出していると
何かに持っていかれそうだった
たよりない両足のことも
知らぬ間に
遠くなって

わたしも君も知らない人も
そうして何年も生きてきたんだ

どこからか
秋刀魚の焼けるにおいがしていた






2009/8/29
つくば朗読会 詩の音
@kitchen Soyaにて朗読。
多少訂正。



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